2021/11/29 20:11
今日、型の研磨をしたので、いよいよ、明日、新しい型でちんすこうを抜いてみます。
今日は昔やった実験の話。
ちんすこうの歴史を調べていると「昔のちんすこうは型抜きしたあと蒸していたんだよ」っていう証言と出くわします。
ちんすこうのこうを漢字で書くと「糕」と書きます。
「糕」は唐では蒸す食べ物に付くことが多いので、いっけんすると蒸していたというのはまんざらハズレではないように思います。
で、つべこべ言わずに実際にやってみた。

出来た。

しかし、このうえなくまずい。
なんでか考えてみた。
そもそも、普通の蒸し菓子とは違いちんすこうに使われるラードには乳化作用がないため、すこぶる水分との相性が悪い。なので、テカテカしてる。
小麦は水分を吸って生焼けのパンのような味。
砂糖は水分で溶けたようで想定している甘さまで到達していない。
そりゃ、まずいって。
とてもじゃないが、王様が自信を持っておもてなしをするお菓子ではない。
食中毒の危険はあるが、焼いてない生のちんすこう生地のほうがまだうまい。
このことから、わたし的には蒸し菓子起源説というのは却下してる。
なので、ちんすこうの漢字も「金酥糕」と記述している。
漢字の話はまた別の機会に書くとして、琉球王朝時代はひらがな文化だったということは覚えて起きたいところである。
実際、沖縄の言葉に漢字を割り当てているのを見ると無理矢理感が半端ない事が多々ある。
兎にも角にも、この実験でわかったことは、ちんすこうの美味しさは、小麦の味を引き出すラードと、小麦と砂糖と熱の間に起きるメイラード反応に大きく依存していることがわかった。
蒸すとこの2大要素がまったくないのだ。
昨今では、プレーン味のちんすこうにも香料が使われている。
この蒸したちんすこうも香料を使えば美味しくなるのかもしれないが、琉球王朝の配合には香料はありませんでした。
それはさておき、プレーンって混じりけのないもののはずなのにってついつい思ってしまうのは、融通がきかない性格のせいなのかもしれませんね。
ちんすこうは今後どこへ向かうのやら。
最近の研究でちんすこうは落雁用の木型で形を作っていた事が判明している事は当工房を応援してくださっている方々にはもうおなじみのお話。
そこ考えると、蒸すという工程は落雁、または、白雪こうとの混同という仮説のほうが信憑性が高いように思う。